系図資料
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後南朝系譜 『南帝由来考』(中谷順一)

┌─後亀山───実 仁─┬─義 仁───教 尊
│           │
│           ├─泰 仁
│           :
└─説 成…………………┼─義 有─┬─尊 雅
            │     :
            └─尊 義─┼─尊 秀
                  │
                  ├─忠 義
                  │
                  └─尚 尊

【註 釈】

後亀山 
 正平四年生(1349)
 応永三十一年崩(1424)
実仁 
 小倉宮第一代、良泰・聖承・招慶院
 後亀山二十一歳ノ子
 建徳元年生(1370)
 嘉吉三年薨(1440)
 廟所河上郷東川
義仁 
 良仁
 実仁二十三歳ノ子
 明徳四年生(1392)
 正長元年(1428)美濃で殺害さる、三十五歳
教尊 
 義仁二十六歳ノ子
 応永二十六年生(1419)
 永享二年(1430)勧修寺に入室、満十一歳
 嘉吉三年(1443)召捕えられ隠岐に配流
 文安元年(1444)満二十五歳示寂
泰 仁 
 小倉宮第二代、天基
 実仁三十五歳ノ子
 応永十二年生(1405)
 嘉吉三年九月(1443)神器奪取叡山自害、三十八歳
 南方、天基と謚する
 ※南帝由来は小倉院一ノ宮
説成 
 上野宮、護聖院
 応永十五年(1408)大和挙兵
 永享五年薨(1433)
義有 
 円満院、円胤
 応永十四年生(1407)
 実仁の猶子となる
 神器奪取時兄宮を援ける
 神璽を擁し奥吉野に潜み
 文安元年(1444)旗揚
 文安四年(1447)紀伊湯浅で討死、四十歳
 ※南帝由来は小倉院二ノ宮
尊雅 
 義有二十三歳ノ子
 永享二年生(1430)
 尊義の猶子となる
 長禄二年(1458)赤松浪人に神璽奪回され殺害さる、二十八歳
尊義 
 万寿寺、金蔵主、空因
 実仁四十一歳ノ子
 応永十八年生(1411)
 神器奪取時兄宮を援ける
 江州に落去
 文安元年奥吉野に来り義有王と旗揚
 紀伊の戦で遁れ再び吉野に入り後南朝廷再興
 康正元年薨(1455)四十四歳
 廟所河上郷三之公山
 ※南帝由来は小倉院三ノ宮
尊秀 
 自天皇
 尊義二十九歳ノ子
 永享十二年生(1440)
 長禄元年(1457)十二月二日赤松浪人に殺害さる、満十七歳
 王首、河上郷金剛寺域に葬る
忠義 
 尊義三十五歳ノ子
 文安三年生(1446)
 長禄二年薨(1458)十二歳
 廟所河上郷高原
 ※一説、文明十二年三十五歳薨
尚尊 
 尚高
 宝徳三年生(1451)
 廟所河上郷井光