尹良親王伝 2
<応永4年>
主上が北朝と合体なさったあとも、なおも吉野に潜伏なさっていたが、応永四年二月伊勢国へお出になられ、それより駿河国富士谷宇津峯へお移りになり、田貫左京亮の館にお入りになった。宗良親王の御子であられるというので東国の旧南朝方も数多くつき従った(宇津峯宮と称され、また田貫の長者とも号された)。


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