応永七年(庚辰)
 
春正月
義満は従二位に叙された。

二月廿八日
伊勢外宮の式年遷宮。

三月五日
満兼が足利庄より鎌倉に帰還した。「京都と融和されるべし」などと上杉朝宗がしきりに申したからである。

九月八日
斯波持詮(法名・法英)が奥州で宇都宮・広子・公島らを追討して首を鎌倉に送り侍所がこれを実検した。


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