応永十一年(甲申)
 
春正月廿一日
下野国・那須で焼き出しを欲する。


義満は明国に使者を遣わした。

三月十七日
木造俊泰が土佐守を兼ねた(去年八月廿四日、正四位下左中将となり参議に任じられたとか。俊泰は国司顕泰の二男で顕泰の養子である。顕泰の実子・満雅は旧南朝東宮の即位が延び延びになっていることを憂慮して常に幕府に恨みを含んでいた。俊泰は幕府に無二の奉公をしているので幕府が吹挙して昇進したのである)。

夏五月
明国の使者が来た。

秋七月
山名持豊が生まれた。時熈の息子である。


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