応永十年(癸未)
 
春二月
天倫一菴が明国に帰った。また義満は明国に使者を派遣した。

三月
義持は石清水八幡宮に参詣した。

夏四月廿五日
新田義陸(隆か、脇屋義治の息子)が相模国・箱根山中の木賀彦六の在所に隠れているという密告があったので、満兼は安東に命じて人数を底倉温泉に集めて義陸を討った。

六月廿三日
相国寺に落雷があって出火。

秋七月
渋川満頼が九州探題になった(管領勘解由小路殿の婿である。これにより今川了俊は交替して捕えられてしまった)。
琉球国の船が六浦に漂着したが船中より音楽が聞こえていたとか。


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