応永十八年(辛卯)
 

飢饉。


興福寺五重塔・金堂・大湯屋・新御願塔二基が落雷で焼失した。
明国の成祖・永楽帝が書を義持に贈り、義満の死を弔慰し祭文を作り恭献王と諡した。

秋七月廿八日
旧南朝方であった飛騨国司・姉小路尹鑑(尹綱)が将軍の命に背いたので、京極高数に飛騨を攻め落とさせ、向井・小島両城に尹綱を封じこめた。

九月九日
明国の使節が帰国した。

十一月廿五日
義嗣が権大納言に任ぜられた。

十二月廿二日
鎌倉の幸王丸が元服して持氏と名乗った。


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