応永二十年(癸巳)
● 称光天皇(人皇百二代、諱実仁、後小松天皇の王子、母は光範門院藤原葉子、日野資教女、実は日野西資国の女)

一色満範が伊勢守護となった。

秋七月三日
関東で大風が吹き、由比ガ浜の鳥居の笠木が吹き落された。

八月廿九日
躬仁親王受禅(諱・実仁を改めた。この即位のとき貞成親王や小倉宮実仁親王が皇位を望まれたので三人で協議があったのだが、幕府は躬仁親王を贔屓したのでついにこの方が践祚したのである。この時、伊勢国司や大和・紀伊・河内・奥州の南朝遺臣らがいっせいに叛逆した)。

冬十二月
奥州の南朝遺臣、伊達松犬丸・懸田播磨守が大仏城に立て籠ったので、持氏は畠山国詮(二本松)に命じてこれを攻め落とさせた。


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