永享二年(庚戌)
 
春正月晦日
鎌倉・浄法寺が炎上。

和泉・河内・紀伊の南軍はすべて京都に降参し、また近衛左大臣(内堀と号した)は、初め南帝に同調せずに自立して紀伊で挙兵し、旧南朝方の兵が多数これに従っていたが、このころ没落し、伊勢国司顕雅も京都に降参、ただし官位所領はもとの通りだとか。

秋八月十八日
台風。

九月二日
大洪水。

冬十月十七日
義教は従一位になった。

十月
細川勝元が生まれた。


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