永享六年(甲寅)
 
正月
山門大衆が降参したが、使いの衆徒は処刑された。幕府軍は帰京した。

二月
義勝が誕生した(母は裏松重光の娘)。

同十四日
因幡堂・万寿寺などが炎上し、六角より七条までが焼かれた。

春二月
朝鮮使が来た。

三月十九日
頂法寺が炎上した。

夏六月一日
明使・潘賜が百余人を引き連れて入洛した(明国皇帝は後小松上皇の崩御と義持の死去を聞いて、潘賜を遣わして後小松上皇を弔するのだとか、源義持王を弔するとか)。

同八日
夜、裏松権中納言義資卿が殺された。

秋八月廿三日
明使が帰国した。

九月十五日
伊勢外宮が遷宮した。

疫疾病や餓死者が多く出た。彗星が二つも現れて大振動が起こった。


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