永享五年(癸丑)
 
正月三日
後花園天皇が元服した(十五歳)。

同廿四日
地震。


豊後の大友中務少輔が謀叛を起こしたので、義教は大内修理権大夫持盛・河野刑部大夫通久などに命じてこれを討伐した。しかし姐嶽の合戦で河野が討ち死にした。

三月
小早川又太郎を大内の援軍に派遣して大友を討たせた。

関東では武田右馬助信長が持氏に背いた。

三月一日
鎌倉より逐電したので、持氏は村上に命じてこれを追わせて甲斐に発向させた。

四月八日
大内持盛が死んだ。観音寺殿と追号され芳林道継と名づけた。

五月廿一日
午の刻、大地震発生。

九月十六日
子の刻、大地震発生。夜中じゅう三十四回も揺れを感じ、その後二十日余も揺れが収まることはなかった。


炎暑旱魃。

十月
山門大衆が坂本・志賀に城郭を構えたので、京都より山名持豊に命じてこれを攻めさせた。十一月十三日より十二月にいたるまでずっと合戦がくりひろげられた。

十月廿日
後小松上皇崩御(五十八歳)。


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