文安五年(戊辰)
 
春正月十日
大臣以下が室町殿に参上して太刀を献上して祝賀した。これは旧南朝勢の叛乱を鎮圧したためである。

同十七日
義成は左馬頭に任じられた。

同廿七日
七条河原において南朝皇族と楠木らの首実検が行われた。

この年は疫病が流行り、飢饉となった。

秋七月十九日
洪水。

八月
赤松左馬助教祐(満祐二男)が伊勢で殺害された(ここ数年は旧南朝勢力に匿われて各地を転々としていたが、旧南朝勢が敗れて後は伊勢に逃げていた。国司は兵を送って教祐とその郎党二人を殺させた)。その首が上洛し獄門に梟けられた。


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