![]() |
□ 宝徳二年(庚午) |
---|
正月六日 義成は従三位に任じられた。 正月より七月まで疫病が大流行した。京都では一日千人も死んだ。 四条大橋が完成した。 三月廿九日 義成は権大納言に任じられた。 四月十四日 吉野大塔空輪、元興寺、大乗院が炎上した。 同廿日 関東公方成氏と上杉憲忠の間が気まずくなった。互いに父の代からのしこりが残っており、とりわけ成氏はいまだ野心を有していた。成氏は江ノ島に移って浜において合戦が起こった。 六月廿七日 義成は従二位となった。 秋八月四日 成氏と憲忠は和睦した。成氏は鎌倉に帰った。 九月晦日 天龍寺で夢窓疎石の百年忌法要があった。幕府がこれを執り行い、勅により仏統国師の号を贈った。 |
← 1449 | 目次 | 1451 → |