津島天王社
 
尾張国海部郡門真荘津島社

牛頭天王は、欽明天皇の時代、海部郡中島に光を現したので見ると柳竹に白幣がありその神託に「我は素戔鳴尊である、ここに鎮座して日本の総鎮守となるであろう」とあったので、社を建ててお祀りしたのである。はじめ柳竹に姿を変えて鎮座なさったので、柳竹の居守と呼ばれるのであろう。

村上天皇の天暦二年戊申、勅使が来て社を建てた(ある説によると、中島郡の王の邑の大神御社とご同体だとか)。今の柏森の地である。後村上天皇の建徳元年正月廿五日には正一位を授けられて日本総社と称せられる(牛頭天王・八王子・一王子、これらを津島三所という)。後亀山天皇の弘和元年の冬、勅命を受けて大橋三河守定省が造営を行った。今の社地である。

佐太彦宮(今の弥五郎殿である)

武内大臣と平定経の二柱が鎮座している(定経は土地の神である)。後村上天皇の正平元年七月十三日、夢でお告げがあって堀田弥五郎正泰(後に従五位下に叙せられ左衛門佐に任じられる)がお祀りした。当時の人々は願主の名にちなんで弥五郎殿と呼んだのであった。


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