良王親王 ・ 良王薨去
 
明応元年三月五日、良王が亡くなった。七十八歳。津島御前大明神にお祀りした。まず大橋が幣帛をとって軍神をお祀りする。次いで左右の列席者が幣帛を取って神楽を奉納する。皇居でのそれとよく似て丹波猿楽ではない。

ところで申楽というのは慈照院足利義政の同朋衆に服部是阿弥という猿楽の上手な者が舞って申楽というようになったのである。観世の祖である。丹波のさる楽は猿と書くが、服部申楽は申と書くのである。

 義季、法名栄勇。新田世良田長楽寺同荘女家領。
 頼氏、後深草院庸元元年二月十日新田荘世良田長楽寺領内荘、世良田郷内田女塚村長楽寺ニ寄進。
 教氏、法名静真。後伏見院正安元年八月十一日世良田の御寺に武蔵国比企郡を寄進。
 満義、世良田弥三郎。後醍醐天皇元享三年十月十七日小角郡之内長楽寺に寄進。同元徳二年四月廿日新田荘小角郡之内を長楽寺に寄進。同元徳二年十二月廿三日長楽寺の修理のために小角郡内を寄進。
 義政、政義か。崇光院の後延元四年四月十日上野国三木村内三森を菩提を弔うために寄進。


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