宗良親王別伝
 
応永二年己酉十月三日、左馬頭足利満詮が武蔵より帰京し、境弾正と畠山入道らが軍勢を集めて本田陣より信濃へ発向した。その頃信濃大河原城には南方の宮がおられ、滋野一族や高坂高宗、上杉の庶流らがわずかばかり所属して関東勢と戦った。十月より十二月下旬にわたったが、この年は信濃は大雪で厳寒、このために双方戦をやめて帰陣したのであった。

将軍宮宗良親王は大和にお帰りになって吉野皇居にお入りになり、民部卿葉室光資はなおも信濃に留まって大河原城を守り、高坂らはこれに従っていたとか。また、永和三年に宗良親王は信濃へ下向してきたとか。

著者が調べたところ、この説は波合記とも異なっている。どれが正しいのか判らず、参考までに記しておいた。


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