巻第2−6 矢尾顕幸智謀の事
 
 このように矢尾と楠木は互いに争うこと数年にわたり、ときおり顕幸が楠木の領内へ攻め入ることもあったので、これを防ぐために、家来の志貴右衛門尉を領地の境界附近へ遣わすことにした。そこで志貴は屈強の者どもを従え、一城を構築して百余騎で立て籠ったので、顕幸も自由に楠木領へ押し入ることができなくなった。

 しかし以前花田でなすすべもなく退却したことを情けなく思って、右衛門尉を追い落として長年の恥辱を晴らしてやりたいと思っていろいろ考えをめぐらせていたが、ひとつの策を考えついて、郎党の上村十郎にその策を詳しく言い含めて百余騎で搦手の方へひそかに回らせて、自分は大手へ向った。五町ばかり後ろに竹林があり、沢五郎をはじめとする元気な若武者ども八十余騎を伏兵として隠し置いた。

 そして別当顕幸は五十騎を率いて大手門の近くまで押し寄せる。この城は大手一方のみ平地に続いていて、搦手は数十丈の谷で鋭い断崖となっていて、残る二方は深い泥田が続いていて人馬が入れるところではなかった。もともと、わずか百騎余りの軍勢であったので、三方は攻めにくいのを頼みに軍勢を配置せず、全員大手へ集まって敵が小勢であるぞということで、門を開けきって打って出て、双方鬨の声を上げて追っては返して戦った。顕幸は事前に計画していたことなので、さっそうと甲冑を着けて

  「矢尾別当はここにおるでぇ!城主の志貴右衛門尉に見参じゃぃ!

と声高らかに呼ばわって、周囲をなぎ払い馬を乗り回して戦っていたが、矢に当たったふりをして馬よりどっと落ちる。郎党の香西兵衛次郎が走り来て、その背に負って後陣の方へ引き退く。これを見て城中の兵たちは

  「敵の大将顕幸は、でっらぃケガさらしよったようやで。いてまえ、討ち取ったれ!

とわめき叫んで攻め立てる。顕幸勢はかねて示し合わせておいたことであったので、あわてふためいて散り散りになって逃げていく。志貴右衛門尉は、まさか計略とも思わず、顕幸を討ち取ったれ、と百余騎を前後に配して城より残らず打って出て、逃さへんど、と追いかける。このとき、上村十郎はどうにか搦手の断崖をひそかに越えて城中へ乗り入れ、矢尾軍の旗を十余り塀の上にさし上げる。このようなありさまとも知らずに右衛門尉の士卒たちは猛追する。そこに伏兵の八十余騎が鬨の声を上げ、沢五郎が

  「かかれぇ!進めぇ!

と云って真っ先に打ちかかってきたので、その配下たちも遅れをとるなとばかりにわき見もせずに斬って入る。

  「あかん!あいつらには伏兵がおった。慌てな!陣立て直せ!

と云う間もあったか、城の方を振り返ると、もはや敵が入城したものと思われて、敵の旗十余旒がひるがえっているのが見えたので、進むこともできず退こうとしてももはや城が奪われている。進退ここにきわまって、網に捕らえられた魚のようであった。右衛門尉は血眼になって

  「あいつらにやすやすと騙されたんが悔しいわぃ。こんなときは逃げようと思ったら死ぬし、死んだれと思ったら生きてるもんやぞ。命捨てて一方をぶち破って通り抜けたらんかぃ、みんな!

と云って、鉾を揃えて敵中に斬って入り、近づくものを馬で踏みにじり斬り散らして一気に切り抜けていった。しかし、志貴が頼みに思っていた郎党は十八騎が討たれ、生き残った者どもも重傷・軽傷、みんながケガをして赤坂へと落ちていったのはひどいことであった。


← 巻2-5 | 目次 | 巻2-7 →