巻第2−5 矢尾筒井引退袖頭神道事
 
 このように正成は、一時しのぎの謀略でやすやすと軍勢を退却させたが、この戦が終わってのち数年は、このはかりごとが成功したということは口外しなかった。

  「オレは敵に罠にはめられて、寝返りするいうんを本気にしてしもて、えっらぃ敗けるとこやったわ

と云っていた。これは、以後このようなはかりごとをするかもしれないが、そのときに軍勢が

  「以前にもこんな方便で大将がだまくらかしはったで

と云われないためである。

 そうして正成は、その翌日より時間を変えながら毎日兵を出して、敵の中に味方へ寝返りする者がある風に見せかけて、敵陣へ合図の矢文などを射こんだので、矢尾・筒井の陣中に、大いに猜疑心が生じて

  「あいつこそ楠木と通じて後ろから矢を射かけようと企んどるぞ、あいつこそ敵に一味して味方を討とうと思っとるぞ

と陣中の常として、あらぬ虚偽の風説をささやきあって互いにほかの武将に気を措いてしまって、それからは戦評定もしない。そんなところに、玉手四郎・白坂兵部丞・岩田・布忍・当宗・雑賀・龍田・十市・加木波らが楠木と図って敵を陣中に引き入れようとしている、とのうわさが立ったので、これらの者は伝え聞いて大いに怒り、

  「わしらには何の落ち度もないのに、こんな汚名をこうむったのは穏やかでないこっちゃ。今回の合戦は将軍家や鎌倉殿への忠功を積むわけでなし、正成に何か遺恨があるわけでもなし、親しいいうだけで顕幸や浄慶に頼まれてその信頼に応えたろうと思って、士道を守っていったん味方しただけやないか。そやのにこんな風に疑われて悔しいこっちゃ

と云って、雑賀小太夫は真っ先に配下を引き連れて離陣したので、玉手四郎・白坂・岩田・当宗・龍田・布忍・十市らもわれ先にそれぞれの陣を払って自分の領地へと帰っていく。筒井・矢尾に味方した寄せ集めの軍勢は、これを見て一人二人と陣を抜けて逃げていってしまったので、残り少なくなってしまった。結局、のちには筒井は顕幸を疑い、顕幸は浄慶を疑って、楠木と一味であろうと互いに猜疑心を生じていたが、ついには筒井浄慶法師も別当に知らせずに深夜になって陣を引き払って大和の筒井に逃げ帰ってしまったので、顕幸も支えきれずに矢尾の城へと退却してしまった。正成は、

  「ほら見てみぃ

と、その翌日に軍勢を出して敵の陣所をことごとく焼き払わせて赤坂に凱旋したのであった。


← 巻2-4 | 目次 | 巻2-6 →