序 文
 
 わが国では治乱数多いといいますが、南北朝の戦、新田・足利二家のいさかいほど、古今これより大きなものは聞いたことがない、と後世の人々が云わないのはついぞ聞いたことがありません。延元年中に後醍醐天皇が大和吉野に御自ら皇統をお建てになって以降、南朝すでに四代五十余年、ついに民草に埋もれてしまわれたことは人々によく知られてゐるところです。しかし、楠木正成公は、詔命を奉じて忠烈功の美名を天下に挙げ、智仁勇の三つの徳を海内に顕わされ、神武天皇以来はかりしれない智略の臣というべきでありましょう。子孫である正行・正儀・正秀も、続いて義の心忠義の功績世に燦然と輝いております。わたしはこれらの記録を集めて二十四巻とし、「南朝太平記」と名づけました。書林田井氏の請うままに、楠木氏正澄より正秀に至る五代の勇戦を記し、ここに出版するものであります。  柳隠子信意 序


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