宗良親王伝 4
<興国2年>
興国二年十月三日、北国の味方が宮をお迎えしたい旨申してきたので、ひそかに越中国石黒(越中守重定〔元定〕、藤原利仁将軍の裔、宮崎も同姓である)の配下の家にお入りになった。

その冬、宮は常陸国小田城へお移りになった。春日中将顕時(親房の一族持房の孫、持定の子である)・一条少将具信・唐橋修理亮(あるいは越後守とも)らが従った(この時、奥州の宮方である伊達宮内少輔行朝・石川・石橋・河村・田村・南部・滴石らが一軍となって斯波・岩手両郡へ攻め入り、稗貫出羽守を討ち取ったとか)。


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