宗良親王伝 10
<その後>
文中三年九月、興良親王は京都でお亡くなりになった。その冬、宮はまた吉野へお越しになられた(後亀山天皇の行宮で千首の和歌をお詠みになったとか)。

天授三年の冬、信濃へ下向なさる時に、大和長谷寺にて落飾なさった。

信濃の宮方はみな背いてしまって高坂のほかは頼みになる者はなかったので、天授五年に吉野へ逃れられた。それからは河内国山田庄に閑居なさっていた。

弘和元年十二月、新葉集を選集して天皇にさしあげた。

その後、またも遠江国へ下向になって、ついに井伊谷でお亡くなりになったのであった(●ある説に、元中二年八月十日薨去)。御年七十三歳と伝わる。方広寺の無文和尚(宮の御弟)が葬儀などを執り行われた。冷湛寺殿とおっしゃるのはこの宮のことである。


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