内裏屋敷
 
先年、木曽路旅行の折に案内してもらった杢之助というのが話していたのは、細湫と大湫との間、深沢の先に内裏屋敷の跡があり、川で管弦をしたときに船を繋いだ石であると、くわんを打った跡があるのだと。

後醍醐天皇皇子・尊澄法親王(還俗宗良)の御子・尹良親王は、元中三年八月八日に源氏姓を賜り、大和吉野より応永四年に上野国へ下向された。同二十一年四月、上野を出て信州知久祐矯の千野城へお入りになった。同八月、千野城を出て三河国に赴こうとしてその途中、賊のために殺されておしまいになった。尹良親王の御子・良王は上州寺尾城でご誕生になった。正長元年、下野三河村落合城にお入りになった。永享五年、信州に赴かれた。同七年、また三河国に赴かれた。十二月五日、三州鳴瀬村にお着きになり、同月廿八〔九〕日、尾州津島にお入りになった。これより流浪なされることはなかった。

この皇子は方々を流浪されたので、ここにもしばらく滞在されたであろう故に内裏というのであろうか。


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