尾州津島鈴木家の事
 
○大橋氏の支配下に属して川口という茂右衛門摂津守が子孫であるが、この茂右衛門の話である。

  尾州津島鈴木家の事
時代は元中の前から応永の後以来、大橋・岡本・恒川・山川(四家)と堀田・平野・服部・鈴木・真野・光賀・河村(七名字)があり、これを尹良君の十一党の士という。片時もお側を離れることはなかった。

  この時の鈴木家は、越後守正茂・右京正武
尹良親王ご自害の後は御子・良王君をお守りして尾張国津島へ来たのである。正長元年であった。

  鈴木右京亮穂積重政 (これは天正十二年の姓名である。大橋家伝説)
延元三年、宮を三河国足助の鈴木重春居城へお移ししようと相談したことがあったが、お移しせずに駿河へお下りになった(津島信濃宮伝記)。大龍院殿故二品上州大守尹良親王尊儀の書状に鈴木右京亮重政の名がある。

良王君は三河国設楽郡作手正行寺というところにひそかにお隠し申し上げたともいう。
                                         津島 藤屋権三郎

右は則定村久世勘太夫が鈴木氏のことを問い合わせたときの返事である。


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