勾当内侍の歌の事
 
同じころ、先帝は山の桜をぼんやりとご覧になって、勾当内侍に、

「季節の移り変わる折に、昔、

 押なべて このめも春と みえしより 花に成行 み吉野の山

と詠んでいた頃はこの山をまだ見たことがなかったのやが、今はここに住み慣れてしもうて、その頃が恋しく思い出されるのや。おまえはどうや」

とおっしゃる。すると内侍は泣き出して、

 いにしへを 忍ぶ涙は み吉野の 吉のの山の はなの志ら露

と申し上げたので、先帝はひどく悲しく思し召された。限りなくあふれる涙が、はた目にもはっきりと判るようになったとき。ちょうど雁が飛んでいたので、同じく勾当内侍が、ぼそりと

「あの雁が戻ってくれば……」

と云ったところ、

 雁金に 我身をなさば み吉野の 花も見捨て 帰らざらまし


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