□ 熊王発心の事 一 |
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赤松大夫判官光範が摂津国の守護でありましたとき、楠木左馬頭正儀にたびたび謀略にかけられたのをくやしく思いながら日々過ごしておりました。 ある日、去る住吉の戦で討たれた宇野六郎という者の子に熊王といったのが、まだ幼いのに光範に云うことには、 「正儀めはわたしにとっても親の仇ですので、どうにかして討ちたいものです。河内へ行って正儀に仕えれば、幼少のわたしですので、いつか油断の生じることもあるでしょう。たとえ油断がなくても七、八年も仕えていれば、そのうちに討ち取る手段もできることでしょう。お暇を頂戴いたします」 と涙を流します。光範もたいそう同情しましたが、まだ幼いことでもあるので敵国へやるのは不安でありました。またわが生命に代わって討たれてしまった者の子でもありましたので、形見とも思い、強く押しとどめます。しかし、 「いま少し成長してしまえば、まさか近付けてはくれないでしょう。幼い今このときこそ行かなければいけません」 と、しきりに願います。光範も、もはやあきらめて自分が身につけていた刀を与えて、 「これで望みをかなえるがよい」 と云って、阿倍野まで多くの護衛をつけて送ってやりました。 阿倍野からは、自分と同じ年頃の童一人を連れて赤坂城へ行き、そのそばに佇んでいました。それを兵庫助忠元が見つけて、 「どなた様ですかぃな」 と尋ねますと、 「わたしは赤松大夫尉光範の家来で宇野六郎と云う者の子で、熊王と申す者です。父の六郎は昔住吉の戦で討たれてしまったのですが、一門の備後守が攻めて来まして領地を奪ってしまったのです。光範とも通じていることですのでどうしようもなく、どこか寺へ入って僧にでもなって父を弔おうと思って、さすらっているのです」 と云ったので、忠元はかわいそうに思ってまず自分の家に連れ帰っていろいろといたわりました。その後、正儀にそのことを語り、 「幼くはありますがなかなか賢い子です」 などと云います。正儀もかわいそうに思って熊王を呼び寄せました。正儀はもともと情のある優しい人柄だったので、熊王もなついて親の仇を忘れてしまったのか、よく仕えたのでありました。 さて、15歳になったので、河内で少しばかり知行を与えようと正儀が云ってくれましたが、 「せめて敵に一矢なりと射てからにしてください」 と辞退しました。 |
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