□ 熊王発心の事 二 |
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翌年の春、この年は父の七回忌に当たるので、今年こそ正儀を討って亡父の供養とし光範も安心させてさし上げようと決意したのでしたが、その日に正儀が、 「今日は吉日やから元服せなあかん」 と云って、和田和泉守正武に髻上げをさせて和田小次郎正寛と名乗らせ、吉野の帝から賜った鎧を与えたので、熊王は感涙にむせんで喜びました。 熊王は夜になるまで正儀の前にいましたが、ふと思いついて討つなら今宵こそと姿勢を正して正儀の方を見れば、ここ数年の恩情の深かったことや今日の元服のことなどが続けざまに思い出されて、どうしてその恩義を忘れて討てようかと思い返して心を鎮めます。しかしまた父の敵でありかつ譜代の主君の仇とも思い、ぜがひでも討たねばならぬと覚悟を決めるのでしたが、正儀が何の警戒心もなくくつろいでいるさまを見ればいたわしく思って堪えかねたのでしょうか。 いきなり広縁に飛び出して大声をあげて泣き叫びだしたのを、家臣たちも正儀もいぶかしく思って障子を開いて様子を見たところ、熊王はひれ伏したまま動きません。ただ事ではないと見てとって、 「どないしたんや、おい?」 と問いかけます。熊王は心のうちをすべて吐露して 「正儀さまのため、光範さまのため、亡き父のためには自ら死ぬほかはないのです」 と云って、刀を取り直します。そこにいた人々はみなもらい泣きをしながらも、熊王を死なせてはならないと飛びかかって自害を妨げましたので、熊王はようやくにあきらめました。 熊王は後にその刀で髻を切り、往生院にて出家して主君より給わった名であるからと正寛法師と名乗りました。そして寺のそばに草庵をこしらえ、心が変わることがあるかもしれないと往生院の門の外へは出ないようにして父の菩提を弔ったのでした。光範より与えられた刀は、いきさつを詳しく書き添えてふるさとへ送り返したとか。 たいそうかわいそうなことでありました。 |
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