楠正行始めて芳野へ参りし時の事
 
楠木正行が始めて吉野の皇居に参上したときのこと、主上は正行を大そう頼もしく、また不憫にお思いになって、正成は日本第一の忠義者であったが、その子の正行も同じ志を持っていることを、めったにないことだがお誉めになった。その場の人々も、比類なきことです、と奏上した。正行の参内の儀式はたいへんりっぱで落ち着いていて、人々は感動して涙を流していた。

正行は、父正成の武略に勝るとも劣らず、また歌道にも心得があって、故郷で詠んだ歌の中には公家に比べても恥ずかしくないほどの歌が多かった。とにもかくにも立派な人物であった。

その参内の際、折り疊んだ一通の手紙のようなものを取り出して、隆資卿に差し出した。これこそが父正成が最後に故郷に出した手紙なのである。すぐに主上もご覽になった。

今回隼人を遣わしたのはほかでもない。われらは近々最期を迎えることになると思う。できることならおまえの成長した姿を見届けたかったが、「義」の方が重く、もう引き返せないのでどうしようもない。勉学を怠けるな。帝や母上に忠孝を尽くせ。おまえも成長したら、われらの心のうちがわかるはずである。
この反物三反は帝より拝領したものである。具足は祖父の代から着古したものであるが、末永い形見としておまえに送る。
   建武二年五月日                        兵衛正成
      楠 庄五郎殿



正行はこの手紙を書き写して、人々に送ったのだった。みな非常に大切にしたのである。


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