明徳四年(癸酉)
● 後小松天皇の治世十一年目、天下一統である。

斯波義将が再び管領になった。

夏四月廿六日
後円融院が崩御(三十六歳、泉満寺に葬る)。

六月・七月
大旱魃と飢饉。

秋七月廿四日
相国寺大塔の柱を立てる。

七月廿九日
鎌倉若宮の鳥居を立てる(義満の発願)。

八月十七日
義満が左大臣を辞す。

九月廿一日
義満が伊勢神宮に参宮した。このとき三十六歳。北畠親能(顕泰の息子)に叙爵しまた義満の一字「満」を与えて「満泰」と改名させた。木造俊泰(顕泰の猶子で木造顕俊の二男)にも叙爵があった。

九月廿二日
南禅寺が炎上した。


飢饉あり。


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