応永二年(乙亥)
 
春正月十日
関東新田方の残党である小山若犬丸が蜂起した。

二月廿八日
小山退治のために氏満は古河県にいたり合戦し、小山若犬丸が敗れた。

三月十日
山名播磨守満幸が五条坊門高倉で処刑された(このとき出家していたが、明徳の乱の首謀者である)。
奥州で田村庄司が蜂起したので、氏満は進発した。

六月朔日
白河下に着陣して合戦し、田村は敗亡した。

六月十九日
氏満は白河より鎌倉へ帰った。

六月廿日
義満が出家した(三十八歳、法名を道義、初め道有と号した。准三后、北山殿と号す)。


義満は倭寇を捕えて明国に引き渡した。


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