応永四年(丁丑)
 
春正月五日
義持が従三位に叙された。

正月廿四日
小山若犬丸の子二人(五歳と七歳)が會津の蘆名直盛(左京大夫)に生捕られて鎌倉に連行され入海させられたとか。

三月廿九日
義持は権中納言に任じられた。

夏四月
義満は北山第を建てた。


小弐宗間(大宰少弐入道宗間)・菊池肥前守が蜂起し、千葉・大村がその味方につき、大内義弘・舎弟弘勝(伊予守)・六郎盛見らが発向してこれらをことごとく討った。しかし弘勝は討死してしまった。

冬十一月十八日
建仁寺が焼失した。
大友修理大夫が罪を許されて帰国していった。


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