応永二十七年(庚子)
 
春正月四日
関東管領の憲基が死んだ(二十七歳、崇徳院と号し法名を心無海印)。息子の上杉憲実があとに立って関東管領となった。


幕府は世保持頼を伊勢守護に任じた。


大旱魃。

秋九月十日
台風(伊勢神宮に被害が出たので大宮司・大中臣長盛が屋根の修繕を幕府に訴願し、幕府より北畠満雅に七度、守護に五度、下知があったのに実行されなかった。そこで長盛自ら修繕した)。

九月
義持が病気でなので、近習三十三人が伊勢神宮へ代参した。
また、公家が義持を呪詛していると上奏があった。これは故広橋兼宣卿・裏松義資卿・日野有光卿・勧修寺時興卿らが狐を使って義持を呪っているとの噂があったためである。典薬助俊経・陰陽助定棟などが逮捕された。


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