応永二十九年(壬寅)
 

伊勢外宮が仮社殿に遷宮した(長盛造修)。

夏四月
清水寺供養。

五月
義持が土岐持益宅に入りついで院に参上し、そして日野一品有光卿亭に入った。

八月十八日
畠山入道道端が再び管領となった(七月廿九日、道観が上表した)。


帝が八幡宮に行幸された。

九月
上皇が石清水八幡宮に行幸された。

冬十月二日
二つの太陽が出現した。
師泰親王が南朝遺臣を集めて挙兵された。

閏十月三日
鎌倉の比企谷法華堂にて、佐竹上総介と合戦があった。佐竹が持氏の命令に背いたために、持氏が上杉淡路守憲宗に命じて佐竹を攻めさせたのである。佐竹は自害した。常陸国住人の小栗孫五郎満重も持氏の命に背いて謀叛を企て、持氏は上杉三郎重方・小山左馬助に命じて小栗を追罰させた。

十一月廿一日
小栗城で合戦があった。


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