応永三十年(癸卯)
 
春三月十八日
足利義量が征夷大将軍になった。十七歳である。

夏四月廿二日
師泰親王が処刑された。

同廿五日
前将軍義持が出家した。三十八歳、法名を道詮。

五月廿八日
鎌倉の持氏が小栗退治のために発向し、下野・結城城に到着した。

八月二日
小栗城は攻め落とされ、小栗満重と宇都宮持綱はともに城より脱出したのだが塩谷駿河守に討ち取られた。

同月八日
桃井下野守と佐々木入道が謀叛に同心していたので処刑された。

同十六日
持氏は結城城より武蔵府中に帰った。義量は軍兵を関東に派遣して小栗を征伐しようとしその軍兵は駿河にまで来ていたのだが、小栗が退治されたということなので京都に引き上げた。しかし持氏は府中にあって意のままにふるまっていたので、京都では不快に感じていたとか。


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