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□ 応永三十一年(甲辰) |
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春 仏舎利を仙洞御所に迎えて供養をした。 三月二日 細川頼之の三十三回忌法要があり、嵯峨の墓所に参ったところ雪が降ってきたので細川満元が詠んだ歌。 思はすよ花を形見の嵯峨の山雪に跡とふ千代の古道 右京大夫満元 同三日 服西堂が将軍の使いとして関東に下向し武蔵府中に到着、持氏を宥めた。 夏四月十二日 南方法皇・小倉殿が崩御された。後亀山院と諡し、今出川左大臣公冬以下諸氏はみな出家した。 四月廿日 二条持基が関白となった。後福照院と号す。 五月十日 服西堂が帰洛した。 九月 服西堂は再び関東に下向し何度も持氏を宥め、よって京都・鎌倉の和睦がなった。 冬十月晦日 上皇が相国寺に行幸した。 十一月十四日 持氏が鎌倉に入った。 同廿日 陸奥の稲村御所(満直、持氏弟)が鎌倉泰安寺に来た。 同廿七日 持氏が満直と参会し、重代の宝剣(鐺通と名づけられた名物である)を満直に与えた。 十二月十三日 義量が参議に任じられ正四位下に叙せられた。 |
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