応永三十四年(丁未)
 
春夏
洪水が数度あった。

六月二日
大洪水。
信濃善光寺が焼けた。

同廿八日
赤松満祐が自邸を焼き播磨に赴いて白幡城に立て籠った(満祐と赤松持貞が対立し、持貞は義持の寵愛を頼んで満祐を讒言した。満祐は義則の子、持貞は貞範の孫で顕則の子、そして満貞の子が貞村である)。義持は細川持元・山名満煕を派遣して満祐を征伐しようとした。

秋八月十四日
官庁が炎上した。

九月三日
大洪水、今年は洪水がこれで十八度目である。

冬十月
諸大名が結束して赤松持貞の罪を義持に訴えたので、持貞は申し開きすることができずに自害し、満祐は謀叛の罪を許された。

十二月十七日
赤松満祐が帰洛した。


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