永享九年(丁巳)
 
春正月八日
未の刻、光物が鎌倉じゅうを何度も飛び回った。

三月四日
大和で合戦、高鳥城を攻撃。

四月
関東の持氏が上杉陸奥守憲直に命じて武州本一揆を集めて村上の援軍として信濃に進発させようとした(ある説に、これは村上の援軍としてではなく憲実を討つ企みがあったことは必定だとか)。

七月廿五日
憲実は驚き、子息(七歳)を上野に下向させた。

八月十三日
持氏は憲実の宿所に来て和睦した。関東管領の職は以前の通りである。

冬十月廿一日
左大臣家に行幸があった。

同廿六日
還幸(天皇は十九歳、賢王である。詩歌会があった)。
  春色映池 かけうつす汀の松の同し枝に八千代をみする池のさヾなみ 御製


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