永享十一年(己未)
 
閏正月十九日
義視が細川下野守の宿所で生まれた。

閏正月
大雪が降った。

二月十日
持氏・満貞は永安寺で自害した。

同廿八日
義久が報国寺で自害した(十歳)。憲実は持氏助命のために京都に三十回も訴えたが義教は聞き入れずに、ついにこのようになってしまったのだった。憲実はこれを悲しんで堪え切れずに自害に及ぼうとしたが周囲の者がこれを止めた。そこですぐに出家してしまった(法名雲洞庵長棟)。弟の清方が関東管領となった。


彗星が出現した。

夏四月
八坂塔と雲居寺が再興された。

嵯峨釈迦堂が倒壊した。

秋七月
朝鮮の使者、高仁宗・尹仁甫が来た。

五山の長老衆が配流された。

冬十月
伊勢志摩が背いたので攻めさせた。一色左京大夫義貫(守護)・守護代石川九郎が発向してこれを討伐した。

大洪水が六、七度も起きて河水があふれ出た。


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