嘉吉二年(壬戌)
 
春正月廿一日
大地震。


明国に使者を派遣した。

夏五月廿五日
のちの後土御門天皇が誕生した(諱成仁、皇太子である)。

秋八月四日
細川持之が死んだ(四十三歳、弘源寺と追号された。息子の勝元が後嗣となった)。

同月廿四日
畠山持国が管領となった(法名を徳本、従三位に任じられた。基国の孫で満家の子である)。

冬十二月十七日
義勝が元服した。加冠は二条関白(持基)、理髪は左中将公経である。同日正五位下左中将征夷大将軍に叙任され、禁色昇殿を許された(九歳)。義勝は孝経大学を読み終えていた。


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