嘉吉四年/文安元年(甲子)
 
春二月五日
改元。

三月二日
夜中、大小の豆が雨のように降った。

夏四月十日
大きな雹が降った。その大きさは棗のようであった。

同十三日
北野社が炎上した(東京の住民と西京の住民とが喧嘩をし、西京の賊徒が北野社に籠った。管領畠山の軍勢と侍所京極の軍勢が社に放火したためである)。

秋八月
南帝の皇子二人が蜂起した。一人は吉野の奧で神璽を奉じて蜂起し、郷民は南朝の新皇さまとお呼びしている。いま一人は八幡山に立て籠って和泉・河内・大和の浪人どもも籠っている。畠山の軍勢が発向してこれを攻めたが畠山勢が敗けた。旧南朝勢が攻め寄せてくるというので細川出羽守が発向し、旧南朝勢を破って八幡城を攻め落とした。旧南朝勢は紀伊に逃走した。

八月十四日
熊谷近江守が、妙湛原夫村の老婆がひと株の柿を愛でたことにちなんで法名をつけた。

八月廿五日
兵衛佐義敏が以前のように三カ国を拝領し、斯波松王と修理大夫がお礼言上。


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