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文安三年(丙寅)
春正月二日
東大寺戒壇院が炎上した。千手堂・顕照院の庫が残った。
八月
飯高山が攻め落とされ、佐々木五郎時綱は自害し、この地は荒廃した。
九月廿三日
内裏が炎上した。
秋
紀伊の旧南朝勢討伐のために畠山家中の遊佐と援軍として宇都宮入道が発向して合戦となったが、幕府軍は随所で打ち負かされた。宇都宮入道祥綱は粉河寺に隠れる始末である。
冬十一月十五日
義成は従五位下に叙された(いまだ童形、諱を義成と言った)。
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