康正三年/長禄元年(丁丑)
 
春二月以後六月まで
北国より水鳥が多く渡ってきた。その羽音は稲妻のようで山野湖沼に充ち満ちていた。秋になって、みないなくなってしまった。

夏五月十日
猿沢の池が血の池のようになった。

秋七月廿一日
吉田社が鳴動した。

九月廿八日
改元。

十一月廿六日
成氏が義政の命に背いて鎌倉より逃げ出したので、そのあとに弟の香厳院(二十二歳政知)を還俗させ、左馬頭に叙任してもらって関東公方に任じ、関東に下向させた。しかし鎌倉はいまだ鎮静化せず近辺には成氏に従う者が多くいた。そこでまず伊豆の堀越に住まいしたので豆州殿と呼ばれた。

十二月廿四日
政知が下向した(去る廿六日還俗)。


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