応永五年、柏坂の戦 二
 
井出弾正少弼正房は鈴木越後守に向かって、

「新田一族の活躍は珍しくはないのだが、今日の合戦は、それがしを始めとして十二郷の兵どもが目を見張りましたぞ」

と云うと、鈴木は、

「わしは年寄りなので何を申してもお許し願いたい。あれは大事の前の小事でありましたぞ。尹良君のお供で参っておるのですから、途中の合戦では命を投げ打ってのご活躍は無用と思います。今日の合戦も深追いでござったな」

と云う。桃井貞職は、

「鈴木殿の仰せはごもっともです。尹良君のお供に合戦は無用ではありますが、鎌倉の者どもが、桃井がお守りしているというのに何の動じる風もないのも悔しく思い、それに彼奴らが逃げていくのが愉快だったので追っていったのでして」

と笑いながら語ったのだった。

鈴木も途中の警固のために、宇津越中守、下方三郎、鈴木左京亮正武、高橋太郎の四人に二百八十騎をつけてお送りしたのだった。

宮は丸山より甲斐国へお入りになった。武田右馬助信長の館にお入りになり、数日ご滞在になって、八月十三日に上野国寺尾の城にお移りになった。新田、世良田その他の一族は寺尾の城に馳せ参じた。


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