応永三十一年、三河へ移る
 
尹良は千野の城を八月十日にお発ちになって三河国にお移りになろうとしたときに、
  さすらひの 身にし有なは 住も果ん とまり定めぬ うき旅の空
とお書きになり千野伊豆守にお与えになった。後の世まで千野の家の重宝となった。

自身は三河国にお移りになり、吉良弾正左衛門尉正庸そのほか桃井義繁など忠義に篤い者が多々いたのでこの者どもをお頼みになって後、上野・下野で時機を待っている新田・世良田の一族に命じて再び挙兵し、落合におられた良王と示し合わせて、宮方の残兵を集めて合戦しようと決定した。そして嶋崎の城をご出立になって三河国に赴かれた。三河からも久世、土屋など多くの者がお迎えにやってきた。

十三日、飯田へ山を越えようとしていたところに、杖突峠で賊どもが道をさえぎって、財宝に目をつけてこれを奪い取ろうと馳せ集まってこの山かの谷より矢を放ってくる。小笠原・知久の兵が防戦して賊を制圧した。

同十五日、飯田より三河に向かわれたが、大野村にて雨がおびただしく降ってきて道路は大河のようになった。午後1時ごろより風雨はなおも激しくなって周囲は暗夜のようであった。


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