永享七年、津島入り
 
同五日、三河国鳴瀬村(●信好がいうには、今の足助であると)にお着きになった。里人は一行を怪しんで村に入れなかったので、満昌の祖父の所領に行って正行寺を頼った(ある説では、作手の正行寺へお入りになったとか、そうならば坂井郷ではないだろうか)。正行寺は満昌の親戚・下妻の知人であった。良王はここに四、五日ほどご滞在になり、その後、尾州津島の大橋定省の奴野城へお入りになった。

永享七年十二月廿九日、良王君は尾州津島にお入りになった。四家、七名字、宇佐美、開田、野々村、宇都宮の十五人がお供をしていた。この時、兵粮米が尽きて無かったところに一会村より米五十石余りを献上してきた。この米を十五人に分け与えたられた。


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