□ 良王親王 ・ 宮方分散 |
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お供してきた武士たちは三河・伊勢・近江・尾張に隠れ住んだ。 世良田萬徳丸政親は三河坂井に住んだ。三河の徳川はこの子孫である。 安祥の祖で家紋は水頭車の桃井大膳亮満政は三河吉良の大河内に住んだ。三河の桃井はこの子孫で、大河内・阪本の祖である。 大庭雅楽助景平は三河深溝に住んだ。大庭は稲吉の祖である。 熊谷小三郎直郷は三河高力に住んだ。三河の熊谷はこの子孫で、高力の祖、家紋はホロ鳩である。 兒玉荘左衛門定政は三河奥原に住んだ。三河奥平はこの子孫である。家紋は唐団。 酒井与四郎忠則は大館上野太郎左衛門親氏の子で、三河成瀬に住み、後に大浜の下宮に隠れ住んだ。三河松平の酒井はこれである。 大岡忠次郎重宗は大江田氏であるが三河大草に住んだ。三河大岡はこの子孫である。 鈴木三郎兵衛政長は矢並に住んだ。三河の鈴木がこれであるが、紀伊の鈴木とは異なり藤原氏である。家紋は藤丸。 大草三郎左衛門信長は、信濃の住人・小笠原七郎政季の弟・八郎豊後守政信の子であり、遠江国有玉の高林善八郎政頼の弟である。家紋は三階菱。 天野民部少輔遠幹、出自は平氏、永享七年十二月に秋葉山で兎を狩り富樫の林之助に贈った。林之助は三河に持参して政親に贈った。家紋は三巴一引両である。 布施孫三郎重政は小笠原の郎党であったが、信濃より良王にお供して三河に赴き野呂に住んだ。藤原氏で、家紋は鷹の羽である。 蓮台寺は相模・遊行上人の弟子で、良王のお供をして津島に居住した。このために蓮台寺が建立された。 成瀬七郎忠房・同太郎左衛門忠親は正行寺に住んだ。この三人は兄弟であり、また新田一族の大館の子である。家紋はカタバミ。蓮台寺を建立した。 吉野より良王親王にお供した僧侶は明星院(羽黒)・実相院・宝寿院・観音院で、良王の祈願所であった。このために上野より津島までお供してきたのだが、津島には観音院一寺のみ建立され、四ヶ寺は津島天王の社僧となった。 宇津十郎忠照は三河前木に住んだ。桐山の大久保は駿河富士郡の住人・宇津越中守の二男で、三河前木の宇都宮がこれである。 宇都宮甚四郎忠成は三河大久保に住んだ。津島の宇都宮の兄弟で、三河の大久保甚四郎がこれである。 熊谷越中守直房は近江伊吹山の麓・塩津に住み、雨森の一族となった。近江塩津の熊谷がこれである。 土肥助次郎氏平は土肥三郎左衛門友平の子で、尾張愛知郡北一色に住んだ。 |
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