良王親王 ・ 津島諸々
 
良王が奴野城にお入りになって、政義・貞綱・貞広の葬儀があった。
 大光院直〔真〕誉紅月居士  世良田政義
 定綱院義功鉄柱居士     桃井貞綱

永享八年に尹良親王を津島天王の境内に神としてお祀りし若宮と称した。また、六月十四日から十五日にかけて祭礼があり、十一党は船十一艘を各々の家紋で飾り立て名字を書き記した。この祭りが始まったのは、尾張佐野郡に台尻大隅守という敵がいたのをこの船の計略で討ち取ったことからである。今に至るまで台尻討ちと囃すのであった。

良王は自ら神主とおなりになって天王の境内にお住まいになった。四家は奴野城を守って天王社をお守りし、七名字は社家となった。宇佐美・宇都宮・開田・野々村は他国からの参詣人を調べる役人であった。


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