巻第1−9 多門丸智勇事
 
 こうして多門丸は、朝晩学問を学び剣術の腕を磨き、遊戯を好むということもなく、才智は世に秀でてさながら神のようであった。さて、河内国に矢尾別当顕幸という者がいた。楠木左衛門尉正澄と、長年領地を争っていた。この別当は、法体とはいえ、武術に達者で、勇気・智謀にすぐれていたので、ある時は勝ちある時は敗けて、勝敗はまったく定まらなかった。そんな中、嘉元三年四月十二日、矢尾別当顕幸が出張ってきたとの報があったので、楠木多門丸は、父正澄の前に進み出て、

  「敵が足場を固めてしまいよったら、こっちからは戦をしにくぅなります。こっちが今からかかってくるとは敵は思ってもみよらんやろうし、油断してますやろ。その不意ついて勝つ算段したらどないでっしゃろ

と云う。正澄は

  「おのれは老練やのぅ

と大いに喜び、そこに集まっていた兵を率いて敵陣に駆けつけ、鬨の声も上げず、しゃにむにどっと斬りこんだ。矢尾の軍勢は思いもよらぬことだったので、上を下への大騒ぎとなり、慌てふためいていたが、顕幸は武功を重ねた法師であったので、士卒に命令を下して騒ぎを鎮めて戦った。左衛門尉正澄は、敵は多勢であったがものともせず、敵中を駈け抜けては斬って廻る。このとき多門丸は、敵の真前に進んで戦っていたが、黒糸縅の鎧に染羽の矢を背負った黒い馬に乗った武者と渡り合って、馬より斬って落とし上にのしかかって、

  「オンドレどこのもんじゃぃ!

と問う。

  「別当に加勢の、泉州より来た岡田六郎左衛門……

と名乗りも終らぬうちに首を掻き切って、太刀に刺し貫いて、

  「楠木多門丸十二歳、戦とはこないするもんじゃぃ!

と声高に名乗った。こうして両軍は勝敗を争い、ここを先途と戦ったが、互いに敗れず囲まれず、戦いは互角で勝負がつかなかったので、双方軍を引いていった。この多門丸こそ、後に楠木河内守正成と名乗る良将なのである。


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