良王君伝
<その後>
さて良王(ヨシユキ)主は、三河国設楽郡作手の正行寺というところに残兵がお守りしてお隠し申し上げたのだが、吉良・今川の一族がこれを聞きつけて討ち取ろうと兵を召集していることが判ったので、その年の十二月、尾張国明智山を経て海部郡門間庄津島の大橋三河守貞省の奴野城へひそかにお移しして、横江一族と協力してお守り申し上げたのだった。

薨去の後、瑞泉寺殿と申し上げたとか(良王主の弟君・良新は津島の神主とおなりになり、良王主の御子を神主丸と申し上げる。大橋貞元の娘を妻として男子を儲ける。これが大橋中務少輔貞広である)。


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