三河に来た人々
 
応永三十一年甲辰八月十五日、信濃国伊奈郡並合合戦。同年三河国に移り来た諸家は、みな宇津峯の宮方の兵士である。

 源  世良田萬徳丸政親  永享八年入京出家
 源  桃井大膳亮満昌   大河内の祖
 平  大庭雅楽助景平   稲吉の祖
 藤原 宇都宮三郎兵衛綱忠 大久保の祖
 平  大橋修理亮貞元〔光〕
    大橋左衛門尉定連〔庸〕
    堀田尾張守正重   安富〔田〕・細見・浦上一家
    天野対馬守遠貞   乾・奥山の一家
    天野藤左衛門尉長弘
 源  大舘与四郎忠則   酒井の祖
    大舘七郎左衛門忠房 須淵・成瀬の祖
 藤原 岡本左近将監高家
    横江越前守政持
 清原 平野主水正業忠   堂上の船橋・伏原の祖先、武家の神田の祖
 平  熊谷小三郎直郷   高力の祖
 平  服部伊賀守宗純
 平  真野式部大輔通資
 藤原 山川民部少輔朝祐
 藤原 河村相模守秀清
 藤原 光賀大膳亮為長
 平  兒玉庄左衛門定政  奥平の祖
    宇佐美左衛門尉秀幹
 穂積 鈴木右京亮重政
 源  恒川左京亮信矩
 源  関田越前守政安
 丹波 野々村兵庫頭秀長

このほか、牧野・鵜殿・菅沼・山内・稲垣・内藤・小出・副田・戸田・岡田・久米・永田・小山など五十余家である。はじめは正〔西〕行寺村に入り、その後三河諸郡に分散した。

また尾張・美濃・近江などへ移った者もいると聞く。その子孫は方々に多い(また別に、土肥助次郎氏平は尾張愛知郡北一色村に入り、矢田彦次郎之泰は春日井郡矢田村に隠れ住んで堀田氏の始祖である。長谷川大炊助重行は同郡如意村に隠れ住んで本姓は石黒である。熊谷越中守直房は近江塩津に逃れると古記にある)。


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