南朝再興
 
ところで楠木は二度目の都潜入であったのだが、出家して万寿寺におられた後亀山上皇の第二皇子・高福院宮と円満院の門主であられた第三皇子・勝法親王をひそかにお連れして、吉野の奧・十津川へ入って高福院宮を新皇とあがめ郷民を招き旧宮方の者を召集した。馳せ参じた人々は、洞院右少将実澄入道・葉室侍従光朝入道・越智伊予三郎・宇野十郎・恩地七郎・贄河左近将監・福塚小太郎・福塚孫二郎・湯浅掃部介・真木弥三郎・和田三郎左衛門正頼・和田小次郎・赤松左馬助教祐・一色太郎二郎・山名五郎氏貞・小山上総介以下で、馬・物具こそきらびやかでなかったがその心は鉄石のような者どもが二千余人集まって新皇をお守りするのは頼もしく見えた。

さて十津川は難所の上に山深いところなので、京都からはたやすく討手を送るのはなかなかに難しく、討伐も延び延びになっていた。


← <6> | 目次 | <8> →