八幡進出 2
 
その後、毎日のように戦ったが、いつも南軍が勝っていた。しかし一色太郎次郎が心変わりして自分の持ち場に宇都宮の兵を引き入れて逆に味方を射てきたので、和田・楠木はますます闘志をかきたてられたのであるがそれもかなわず、将軍宮の供をして紀伊へ退き、さらに軍士を召集して紀伊・和泉を制圧しようとしていた。細川・佐々木・宇都宮らは続いて押し寄せてきたが、楠木は敵を謀にかけ夜討ちをするなどして激しく攻撃する。幕府軍は不意を突かれ陣を据えるひまもなく敗北して京都へ逃げ帰ってしまった。南軍はまた勢いづいて紀伊の大半を従えて大和・河内を調略しようとする。

その後は京都よりたびたび討手を派遣してきたが、はかばかしい戦もせず退却していくのだった。

文安も三年になって、あまり延び延びになって事が面倒になれば悔やんでも仕方がないとして、宇都宮入道・遊佐・誉田一万余騎が紀伊へ発向して攻撃してきた。和田・楠木は敵を居つかせるなとばかりに攻めかかって縦横無尽に駆け回った。幕府軍はまた辟易してことごとく敗北し京都へ退却していった。南軍の武威は侮りがたいとして、その後は攻撃しようとしなかったのであった。


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